スケートを応援してくれる財界人は?
東京のど真ん中、高田馬場駅から歩いて10分ほどのところにあるシチズンプラザが、2021年1月31日で閉鎖されることになっています。
これによって、200人ものクラブ生を含め、常時1000人以上が利用しているスケートリンクが失われようとしています。
現在、大阪府と愛知県には、大学が所有するスケートリンクがあります。
そのうち、関西大学たかつきアイスアリーナ誕生にまつわる記事をご紹介します。
リンクの誕生は2006年7月。
記事にはこうあります。
きっかけは04年11月、高橋らが練習した同市内の「O2スケートリンク」の閉鎖だった。55年創部のアイススケート部、48年創部のアイスホッケー部の学生は近隣のリンクの使用。だが、それらのリンクは飽和状態で、夜中にしか練習できないこともあった。織田の母としても知られる憲子コーチら関係者は「リンクをつくってください」と理事長室のドアを何度もたたいた。
やはり、別のリンクの閉鎖がきっかけだったんですね。
日経にも、建設に至るまでの苦労話などが載っています。
関大アリーナは2006年に完成、日本の大学がスケートリンクを開く第1号となった。フィギュアでは高橋大輔さん、宮原知子さんら有力選手を輩出してきたが、大学がリンクを持つ初の試みの背景に関西の技があることはあまり知られていない。
日本のフィギュアスケート界の西高東低時代を決定的にしたものの一つかもしれませんね。
ちなみに関西大学のリンクは、ホッケー、フィギュア、ショートトラックにも対応したものだということです。
https://www.kansai-u.ac.jp/ja/community/ice_arena/
そして、関大にリンクを作った当時の理事長であるこの森本靖一郎さんは、カーリングのリンクまで備えた「関空アイスアリーナ」の運営主体の一般社団法人関空アイスアリーナの代表理事になっていらっしゃいます。
2019年12月にオープンした「関空アイスアリーナ」のサイトです。
19年2月の記事。関空アイスアリーナのさまざまな工夫について言及した記事です。茶室をつくるほか、エネルギーをできるだけ効率的に利用する工夫など、盛りだくさん。
とはいえ、関西でもこれまでにいくつも既存のリンクが閉鎖され、新たに建設される予定だったリンクも完成が遅れたりしています。
選手たちの練習場所確保は容易ではなかったのではないかと思います。
関西は東京以上に学生スケーターが多いようなので、リンクの所属スケーターの数だけでは比較できないところがありますよね。
東京はこれから、どうなっていくんでしょうか。